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輪島の朝市

 

 

輪島朝市

 

昔々物々交換を行った事が今の市の起源とされています。
輪島では 神社の祭日ごとに物々交換の市が立ったと言われています。


これが 輪島朝市の始まりとされていて1千年以上も前から続いています。


こうした古い歴史の中で育まれてきた輪島朝市には売る者と買う者 との心の触れ合いが生まれてきました。

 

輪島朝市

 

売る者も女、買う者も女の朝市。町の一日は朝市の『買うてくだぁー』の呼び声から始まります。

 

輪島朝市の露の場所は親から子へ、子から孫へと何代も引き継がれているのです。

野菜などは周辺農家のおばちゃん、活きのいい魚貝、海草は漁師町の女衆が売りに出ます。

 

輪島の女は働き者で「亭主の一人や二人養えない女は甲斐性なし」と自負しているのです。

 

輪島朝市

 

輪島朝市で売られるものに「値札」はあまり付いていません。値段は交渉しだい、買い手も売り手もこれを楽しんでいるのです。

 

輪島を訪れた都会の主婦は「朝市で買って料理をすれば、どんなに楽しいだろう」、「活きの良い魚、艶のある野菜、気安く気軽に買える輪島朝市が何よりもうらやましいと言います」

毎月10日、25日、及び正月3ヶ日は朝市はお休みになっています。

 

地元のおばあちゃんたちの掛声が響く活気いっぱいの輪島名物・輪島朝市。

 

午前8時ごろから始まるそれは、鮮魚や野菜、干物、民芸品などの品をムシロや板台の上に広げた約200件もの露店が所狭しと並んでいる。

 

お昼ごろまで賑わっているので、朝ゆっくり過ごしてからでもその雰囲気が味わえる。

 

夕市

 

また、夕方には住吉神社境内にて“夕市”が開かれ、店舗数が少ないながらもその日水揚げされた新鮮な魚貝類や、野山の幸が売られているので、昔ながらの情緒を楽しみながら輪島ならではの旬の幸に出会うことができる。

 

鳳至町の住吉神社境内で、午後3時過ぎから日没ころまで開かれる市です。

 

観光化が進んだ朝市と比べて店の数は少ないけれど、夕飯のおかずを買いに主婦がおとずれる市民の台所といった感じの生活と密着した市です。

 

毎月10日、25日及び正月3ケ日は夕市はお休みです。

 

たいこ

 

天正4年(西暦1576年)越後の上杉謙信は、七尾城を攻略して「霜は軍営に満ちて 秋気清し越山を併せたり 能州の景」と詠じ、その余勢ををかって奥能登平定に駒を進めました。


現在の珠洲市三崎町に上陸した上杉勢は、各地を平定し天正5年、破竹の勢いで名舟村へ押し寄せて来た。

 

武器らしいものがない村人達は、鍬や鎌で打ち向かったがさんざんな負け戦であった。

 

そのような時、村の古老の指図に従い、樹の皮をもって仮面を作り、海藻を頭髪とし、太鼓を打ちならしつつ、上杉勢に逆襲し、戦いを勝利に導いたという。


面をつけることによって、「御陣乗り」と称して今日まで伝えられています。

 

この戦勝は舳倉島の奥津姫神の御神威によるものとし、毎年奥津姫神社の大祭(名舟大祭・7月31日夜から8月1日)に仮面を被り、太鼓を打ち鳴らしながら、神輿渡御の先駆をつとめ、氏神への感謝を捧げる習わしとなって現在に至っている。

 

始めはゆっくり、次にやや早く、最後はもっとも早く即ち序・破・急の三段で打ち切り、各自が自由な形で見えを切り、面に応じ、個性を生かした芸を入れるのが御陣乗太鼓の見どころであり、聞きどころであります。

 

へぐら島

 

輪島港から48km北の海上に浮かぶ周囲6kmの島です。

6月上旬から10月下旬に輪島市海士町が町ぐるみで島に渡り、海藻類やアワビ、サザエ漁を行ってきました。

現在、島には約100戸の集落がありますけど、殆どが夏の仮住まいです。海で漁をする海士の姿や静かな漁村風景が見られます。

又、島全体が野鳥保護地区でバードウォッチャーの訪れも多いほか、島全体でクロダイやヒラマサ、マダイ、ヒラメ、ブリなど大物が釣れます。

又、島全体が野鳥保護地区でバードウォッチャーの訪れも多いほか、島全体でクロダイやヒラマサ、マダイ、ヒラメ、ブリなど大物が釣れます。

輪島港発朝9時の定期船が1日1往復運行しています。1時間30分で舳倉島です。

 

 

輪島塗

輪島塗の起源にはさまざまな説がありますが、現存する最古の輪島塗は河井町にある「重蔵権現本殿の朱塗扉」で、室町時代の大永4(1524)年の作といわれています。

 

漆器の技法そのものは縄文時代にまでさかのぼることができます。長い時間をかけ、幾世代にもわたって受け継がれてきた技。

 

しかし、それはたんに伝統を守ることだけにとどまりません。

 

創意を重ね、技を磨き、つねに進化と深化を続けてきたのです。

 

たとえば、「輪島地の粉」の発見。これは珪藻土の一種を焼いて粉末にしたもので、漆に混ぜることで頑丈な下地がつくれるようになりました。

 

弱くなりがちな所に布をかぶせる「布着せ」という手法も生みだされました。

 

こうして、輪島塗ならではの「優美さと堅牢さ」を支える、本堅地法とよばれる工法が完成したのです。

 

江戸時代に入り、享保年間には沈金の技術が確立。

 

 

輪島塗

さらに文化文政の頃には蒔絵の技術が伝わり、「暮らしの中で使う道具であると同時に、ひとつの芸術でもある」という輪島塗ならではの価値が確立していきます。


つねに、より美しいもの、よりよいもの、より優れたものを求める。

 

その強い意志を持つ人々が価値を高め、磨きあげてきた輪島塗の歴史。


時を超える価値は、時を超えて磨かれてきた技から生まれます 



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