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カテゴリー: 幸寿し日記|2008年2月13日
◇能登町の実家◇

私の生まれ育った家です。
漁師をしていた20歳才まで暮らしていました。
よく悪さをした子供時代が懐かしく思えます。
小学校の時は、学校から帰ってきたら同年代の、悪がきが集まり魚釣りです。
まずサオがありません。
小さいノコギリを持って、近くの竹林に皆で出かけて行きます。
竹林で釣竿に出来る竹を、人数分切ります。
釣り糸は綿糸です。
釣り針は当時、子供にすれば大変貴重でした。
釣っていて針が藻に、引っかかって切れたら、皆で探して見つけました。
釣り針は、仲間のうち誰かが必ず持っていました。
重りは小石です。
餌は家の直ぐ前が海でしたから、岩をめくって青ムシをとりました。
これでも結構釣れました。
アブラメ(アイナメ)・カマタキ(ベラ)などを釣って遊びました。
朝、学校に行く前にタコも捕まえました。
今は、その場所は埋め立てられて宇出津新港となっています。
いつも魚を釣る隣が、砂浜でよく遊んだ所です。
冬に海が大時化になったら、この砂浜にナマコが打ちあがります。
競争をしてナマコを拾います。
楽しい思い出が沢山詰まった家です。
先日、私と穴水町で一緒に暮らす母が、家に用事があり私の娘の有子に
送って貰った時に娘が撮った写真です。
私も、ちょくちょく家に行くんですけど、写真を撮るのが気がつきませんでした。
能登町は被害が少なかった去年の能登半島地震でも、持ちこたえました。
私は穴水町で被災しましたから、能登町の実家は潰れたと思っていました。
無傷ではないですけど、まだ持ちこたえます。
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写真だと良くみえるね。
私は、高校卒業までいましたが 何かいろんなこと
思い出しして・・・
今度行ったら、写真撮ってこようと思っています。
満知子 (2008年2月14日)
満知子さんへ
写真なら、まだまだの感じやね。
でもガタガタやね。
幸寿し・大将 (2008年2月14日)
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