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朱鷺を最後に見た男

 

 

最後に朱鷺を見た男

朱鷺を最後に見た男 塩谷 吉勝氏

当時(1969年)根木小学校(現在は廃校となっている)へ通っていた私が
二年生へ進級した春頃の話しです。

 

最後に朱鷺を見た男

 

私が通学路として使っていたのどかな田園風景が広がる志ヶ浦地区と新崎地区の間にある「石な道」(石畳道)を歩いて帰宅していた時でした。

 

朱鷺を最後に見た男

 

突然、胴体は美しい薄ピンク色で顔を真紅に染めた朱鷺が海に浮かんだ青島を背景に優雅にかつ美しく翼を広げて私が見上げる空を飛んで行きました。

 

重いランドセルを担ぎながらその朱鷺を一生懸命に追いかけた記憶は今でも脳裏(能里)にくっきり焼きついております。

 

最後に朱鷺を見た男

 

その朱鷺も翌年1月に捕獲され、さらに翌年に死亡したと聞いた時は悲しい思いをしたものです。

 

最後に朱鷺を見た男

 

時は流れ、現在、私が見た朱鷺の背景にあった青島がひょんな事から私たちが管理する事となりました。

これをきっかけに本州最後の朱鷺が捕獲された、この地を昔私が見た美しい朱鷺が生息できうる地として再生すべく、青島や周辺の山林、海岸を整備する里海・里山再生計画なるものを地域の住民と共に実行しております。

 

朱鷺を最後に見た男

 

塩谷さんが暮らす新崎地区です。

 

塩谷さんは今、この新崎地区で荒れた山間部の手入れをして

マツタケの山を再生すべく頑張っておられます。

 

地元のマツタケ山を育てる

 

まつたけ



マツタケは荒れた山には出ません。
きれいに掃除をした山に多く出ています。
余分な木は伐採して風が入る様にします。

  

まつたけ

 

それに大事な松くい虫予防です。
塩谷さんは、松くい虫を食べる鳥ヤマガラに注目しました。

 

マツタケが生える山に多くのヤマガラの巣箱を設置しました。

松くい虫予防には空からの薬の散布がありますけど、これは人の体や
食物には絶対に良くありません。

 

ヤマガラの巣箱の設置は里海・里山再生にも結び付きます。
昔の様に在所にマツタケが沢山出来て、沢山の鳥たちが帰ってくる。

 

夢のある仕事です。

 

まつたけ

 

沢山のヤマガラの巣箱を作り設置しました。

マツタケ山の天敵の松くい虫を沢山頑張って食べてくれ!!

 

まつたけ

 

余分な木の枝などは撤去して山を綺麗なまま保全します。

一つ一つ成果が出ています。

マツタケの成果は来年の今頃には出てきていると思います。

 

まつたけ

 

今年のマツタケです。

山の乾燥もマツタケ山の天敵です。

 

塩谷さんは、山の乾燥に備えて山に水の散布をする用意もしていました。

今年は良く雨も降りましたから水の散布をすることはありませんでした。

 

来年からは、おそらくマツタケ山に水の散布をすることになると思います。

マツタケ山には恵みの水となることでしょう。

 

 

まつたけ

 

今年一番の大物です。

マツタケの傘が開いて胞子が土に落ちるのを待ちます。

 

今年生えたすべてのマツタケは傘を開かせて胞子を落としました。

これが来年どのような成果が出るのか楽しみです。

 

やって行動せんと何にも分かりません。

机の上で議論していても何の解決にもなりません。

 

まずは考えて行動あるのみです。

 

 

奥能登全域でトキ目撃 昭和20年から30年代 

北国新聞引用

金沢大学【里山プロジェクト】は10日までに、朱鷺の生息状況に関する石川県内の聞き取り調査をまとめた。


かつて営巣地があった輪島市三井町洲衛以北・以東の地域では、朱鷺の行動が範囲が把握されていなかったが、今回の調査では珠洲市や能登町からも昭和20年代を中心に朱鷺を見たという情報が寄せられ、半島全体に餌場を求めた朱鷺の足取りが浮かび上がった。


県内では、昭和初期に30羽程度のトキがいたと推測され、昭和30年代になると、羽咋市眉丈山、穴水町七海、輪島市三井町洲衛の山間部などで10羽以内の少数が生息したとみられている。

 


調査は、当時の生息環境などを把握する為、県の委託を受け2008年度から2カ年で行った。


1次調査として、NPO法人日中朱鷺保護協会でアンケート用紙14,000枚を学校などに配り、児童の祖父母から情報提供を求めた。

 
このうち、若年時にトキを見たという53歳から89歳の住民54人を訪ね、聞き取り調査を実施。

 
トキ保護活動の第一人者である村本義雄氏(日中朱鷺保護協会名誉会長)が昭和30年代のトキ分布状況をまとめた地図では空白域となっていた輪島市三井町洲衛以北・以東では15地点で目撃があった。


珠洲市若山町では昭和23年から昭和25年頃に、まだ温かい朱鷺の死骸を農道で見つけて抱き上げたという70代の男性の証言を得た。


外浦側の同市川浦町では、昭和20年から昭和24年ごろに庭木に止まっているのを見たとの情報もあり、当時は人里にも飛来していたのがうかがえる。

情報の多くは1羽のみの目撃で、繁殖や営巣に関するものはなかった。


また、5月から7月に朱鷺が多くみられていることから、吉田洋金大客員研究員は、ヒナの成長期に親が餌を求めて、輪島や穴水の営巣地から出張していたのではないかと推測をしている。


調査結果は、13日以降に輪島市など県内3ヵ所で開くワークショップで報告される。

 

穴水の空に 再び朱鷺を

北国新聞引用

新崎・志ヶ浦協議会朱鷺放鳥候補地に名乗り。

最後の捕獲地で草刈が行われました。

穴水町の新崎・志ヶ浦地区里海里山再生協議会は11月21日、1970年(昭和45年)
本州最後のトキが捕獲された穴水町乙ヶ崎の現場周辺で除草作業に励んだ。


いしかわ動物園での分散飼育開始をにらみ、会員たちは将来、トキ放鳥の候補地
として名乗りをあげるため【すみか】に適した環境整備にのりだしました。


協議会は、新崎・志ヶ浦地区が今年度の県の【先駆的里山保全地区】選定されたことを
受け、8月住民らで発足しました。


新崎・志ヶ浦・乙ヶ崎など島崎地区では、かつて朱鷺が生息した里山も近年、過疎化や
農林漁業者の高齢化などの為、手入れが行き届かなくなっています。


協議会は里山、里海の荒廃を防ぐため、現状調査や事業計画の策定を進めており、朱鷺を
呼び戻せるよう環境整備にも取り組んでいきます。


最後の朱鷺【能里】が捕獲された海辺の水田跡は長く雑草に覆われ、捕獲する為、餌場
近くに建てられた監視小屋は倒れかけたまま残っています。


岩田 正樹会長ら10人は、手始めに小屋の周辺で草刈機を手に除草に励みました。
岩田会長は【ここはトキが住みやすい環境だったはず。餌場の確保など整備を進め
朱鷺を呼び込みたい】と意気込んでおられます。

朱鷺、穴水町で捕獲 佐渡へ

北国新聞引用

朱鷺


1970年(昭和45年)1月8日、午後0時半。

穴水町乙ヶ崎の見張り小屋で二人の男性が声を殺し、約70メートル先の水田を見据えていた。

祈る様に男性がスイッチを押す。
バーンと言う火薬の爆音とともに網が宙を舞い、一羽の鳥を包み込んだ。

能登に残った最後の朱鷺【能里のり】が捕獲された瞬間だった。  

石川県教委などのよると捕獲作戦は、能里が孤独死するのを待つより、十二羽の仲間がいる
佐渡に送って繁殖させようという願いからだった。



【佐渡のトキを連れてくれば良い】【動物園で飼育しては】【能登で天寿をまっとうさせるべきだ】
意見が交差する中、捕獲された能里はパトカーで護送され、佐渡の保護センターへと移された。 



移送から一年余りが過ぎた冬。
能里と、お見合い相手の【キン】が打ち解け、繁殖への期待が膨らんだ矢先だった。

佐渡から届いた【能里のり急死】の報は県民を深く落胆させた。

この時、本州から朱鷺が絶滅したのだ

 



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